【日 時】2024年(令和6年)6月29日(土)
【参加者】K原(L)、M内、S井、Y村、H井
【コースタイム】
三条京阪駅京都バス乗り場6:53==「登山口」バス停7:45――9:00黒谷青龍寺――9:20大黒山――10:20西塔釈迦堂――東塔法華総持院――11:30大比叡山頂(848.3m) ――12:15ケーブル延暦寺駅(昼食)12:50――裳立山13:30――14:40比叡山高校グラウンド――15:00坂本(解散) ≪行程距離;11.5km 行程時間;7時間15分(休憩時間を含む)≫
【感 想】
秋の登山祭典を「比叡山」で行うことが決まり、あまり知られていないルートを下見しました。前日と翌日のお天気は雨なので、貴重な梅雨の晴れ間になりました。京都「三条京阪駅前京都バス乗り場」に6:50集合と少し早いのですが、早めに下山するほうがいいと思って決めました。朝霧のなか古くからのしっかりした道を1時間あまり登って杉の巨樹に囲まれた黒谷青龍寺に着きました。ここは比叡山の中で「別格のお寺」で、静けさの中に荘厳さが感じられました。すぐ近くの大黒山に寄りましたが何の表示もありませんでした。そこから瑠璃堂に向かいましたがお堂の直前で動物除け柵のゲートに阻まれて引き返しました。その間にたくさんのヒルに付かれたようで取るのにてんやわんやでした。峰道から西塔、東塔を通って大比叡山頂に着く頃には青空が見え始め、樹間に琵琶湖が望めるようになりました。その後ケーブル駅傍の日陰のベンチで琵琶湖の展望を眺めながら昼食にしました。紀貫之のお墓に寄ってから緩やかな下り道を辿ると突然に野球グラウンドへ出て、そこが坂本の町でした。歴史の重み、自然の深さ、人の祈りの力を感じた山歩きでした。 (K原)
八瀬から比叡山へは初めてのコース。前日の雨で周りは霧の中、蛭対策(ヒル下がりのジョニー)をしっかりして山の中へ。それでも蛭はしっかり靴を登ってくる!!犠牲者はリーダーのみ。1時間ちょい急登を我慢すれば青龍寺へ。今は無人のお寺がひっそりと佇んでる。青龍寺から長い階段を登った所で若いお坊さんに会う。「蛭に気を付けてください、今の時期は多いので」と。独身の頃は青龍寺に寝泊まりしていたけど今は掃除しにきているらしい。大黒山は何処?直ぐ近くのお墓の裏手に少しこんもりしてる場所。比叡山は何時も澄みきった空気感が漂っている。大比叡から下って、ケーブル延暦寺駅で昼食。山友のストックの先に蛭を見つける。どこ迄もしつこい蛭!!もたて山駅から紀貫之のお墓に寄る。私の故郷、高知の友が南国市国府保存会の会長をしている時期、3回参加した事があり。延暦寺のお坊さんと御詠歌を詠ってのお参り。汗っかきキノコ、ツガサルノコシカケがブローチのように輝いてた。なかなかのコースだがいい道で、蛭のいない季節は楽しめると思う。 (S井)
比叡山山行は、滋賀県側の登山口である坂本の比叡山高校脇からのスタートが多かったのですが、今回は京阪三条駅から大原行のバスに乗り、八瀬付近のバス停登山口からのスタートです。梅雨の中休みで、道はじっとり水を含んでいるので、なんだか嫌な予感が、この時期はそう!ヒルのお出ましです!ヒル避けの薬剤をスプレーしても、安心はできません。互いにヒルが登っていないか目を凝らしながら、青龍寺に到着、休憩して先に進むと林道に車からお坊さんが、これから青龍寺に出勤されるところでした。聞くと青龍寺は知恩院の管轄だそうで、独身の頃は寺に住んでいたが、結婚後は通っているそうです。道理で、お庭も綺麗に管理されていましたし、一人お寺でどんなお勤めをなさっているのだろうと、しばしお坊さんの暮らしに思いを馳せながら歩きました。東塔法華総持院から大比叡へ歩く道中にも、歴代比叡山で修行し亡くなられたお坊様達のお墓が並んだ前を何度も通ります。比叡山の焼き討ちでも多くの僧侶が命を落としているでしょう。急な斜面の途中に、琵琶湖と京都が眺められる位置に紀貫之のお墓があって、なぜ本人が望んだのだろうかと思ったり、テレビで見た阿闍梨になるための昼夜寝ないで駆け巡る修行の様子を思い出したりしました。今回は、最初にお坊さんにであったからなのか一般的なコースでは味わえない神聖な気持ちになるコースの山歩きでした。今回のコースは、10月27日に予定されている登山祭典の下見ということで、ヒルも多分出ないだろうと思うので、さらにゆっくり歴史ある比叡山を楽しめることでしょう。 (Y村)
計画書を見たとき、登山口?どこの?と思っていたら、八瀬のバス停の名前が、「登山口」。そこから、大比叡に向かってスタートした。昨日までの雨が上がり、曇りから晴れ、好天気だった。私が行ったことのある普通コースとは違っていたので、新鮮で、人とすれ違うことも少なく、登山道もきちんと整備されていて、歩きやすくスムーズにいけた。季節を変えて、また、登ってみたい。(H井)