【日 時】 2022 年11月6日(日)天候―終日穏かな快晴
コース予定 熊川宿8:30→今津・天増川集落9:00→林道終点P~電波塔跡地~三十三間山(大日~ 轆轤山尾根の様子を観察・記録)→往路を下山する。
参加者 講師・A木繁、K内、Y田ひ、M田、M川、K村、O田じ(報告) 計7名
コースタイム
近江大橋米プラザ7:40―R161経由―8:10藤樹の里―8:22広川―8:32保坂―8:39熊川宿8:51-8:59天増川村・本所橋9:08―ゲート9:10―常緑樹と針葉樹混在の特殊な雪崩防止林観察地―9:25アブラギリ観察地―イブキトリカブト観察地―10:07轆轤村跡観察地―10:25アシュウスギ観察地―10:45トチ観察地―10:52氾濫原のハンノキ観察地―11:02氾濫原観察地―11:12天増川林道の峠(補食休憩)11:41…12:16能登越12:25…12:34P695北の分岐(昼食休憩)12:48…13:26標高785mの展望地(時間切れでバック)13:56…14:19能登越…14:42天増川林道の峠14:59―15:09熊ハギ観察地―16:01天増川村・本所橋16:13―16:19熊川宿16:31―R367朽木経由―17:48近江大橋米プラザ曇り
穏かな晴天のもとで紅葉時期に恵まれてユッタリと楽しめた観察会。天増川村の区長さんに林道ゲートを開けてもらい出発。途端に未舗装林道。天増川沿いを源頭の鞍部まで8.2km区間がほとんど水の溜まった穴ぼこだらけの路面。荷物満載の軽トラ運転のA木車の先導で、4名乗軽乗用車運転のK内車、2名乗普通車運転のK村車の3台が15~20キロ速度で最徐行運転で進む。途中には廃村の「梨子木村跡」「六ッ石村跡」「轆轤村跡」「水谷村跡」が残る急峻な谷。所々で車止めてA木先生の樹木観察と説明を聞きながら2時間かかって鞍部に到着駐車。
三十三間山の北尾根登山道を鞍部から3km先の山頂まで穏かなアップダウン尾根道を出発。この秋一番の紅葉を楽しみながら、A木先生の落ち葉を見ながら樹木解説を聞く。記録担当者2名がメモを続ける。能登越では展望が一気に広がり日本海の若狭湾と山々一望、反対側は大日から大御影山の稜線の紅葉が眩しい。更にテープ目印に先導されるよう三十三間山を目指すが約1.5km先の標高785m展望地で時間切れとなる。右手は日本海若狭湾の先に丹後半島が、正面に三十三間山が、左手には大御影山稜線から三重嶽や近江武奈ヶ岳の大展望地を楽しんだ後引き返す。名残り惜しみつつ傾いた夕日に輝く紅葉の樹林下をA木先生の説明交え林道鞍部に戻る。天増川林道の帰りは説明回数が少なくなったこともあり半分の1時間で天増川村ゲートへ戻った。(記録・O田)
●山友会のいろいろな山行が重なったせいもあって、M田さんが広く声掛けをしてくれたが、先生を含む7名の山行となった。
天増川の長い林道も、各所で先生の説明を聞きながら辿るとあっという間。天増川集落の裏山にある雪崩防止の山(不抜林だったため、貴重な植物が残っている)、廃村になった集落跡の確認(石垣が残る)、ハンノキが茂る貴重な氾濫原(流入する水が減り、乾燥が進む)、水辺の栃の木は何故落葉が遅いのか、など興味深い話がいろいろ聞けた。
●先生、K村さんから貴重な資料を提供していただいた。(写真参照)
・「江州高嶋郡 あます川」・・天増川沿いの集落の歴史。現在残るのは、入口の天増川のみ。各村が廃村になった原因、50年ごとに起こると言い伝えのある水害の記録(明治29年には、山林の乱伐により大被害、との記載もあった)など。
・「湖国と文化」の『ブナの森で考える』が載る号のバックナンバー・・ブナ林がたどってきた歴史を春夏秋冬4回シリーズでA木先生が連載された。
・「日本のムダ 徳山ダムの話」・・ブナ伐採だけにとらわれず、広く背景を勉強するために先生が推薦された本。