日 程: 2019年4月26日(金)夜発~28日(日)
参 加 者: Y森(L)・N野(SL)・A部・K西・K川(記録)
コースタイム
距離 約22km(参拝ケ寺含) 累積標高差 約1,000m 行動時間10時間(参拝時間含)
6:23道の駅「柿の郷 くどやま」→ 6:35慈尊院 →6:38 180町石→ 7:20展望台(280m)→8:30144町石と一里石(500m)→ 8:52六本杉(580m)9:00→9:30古峠(620m)→9:40二ツ鳥居(645m)9:48→10:10神田地蔵堂(540m)10:20→11:15笠木峠(500m)→12:16矢立(490m) 昼食12:56→13:10袈裟掛石13:15→押上石→14:40鏡石→15:22大門(850m)15:35→15:48 一町石(830m)→金堂、根本大塔等見学→16:20宝城院(830m)着(宿坊)
コース概要
記録
リーン「K西さんが下で待ってはるけど。」「ぎゃ、出発は明日じゃなかった?」出発日を普通、間違う?吃驚の展開でスタートした高野山山行。「待ってるし」と言う皆さんの暖かい言葉に甘えて出発を一時間ずらしてもらって九度山向けて出発。京阪奈自動車を経て約2時間。道の駅「柿の郷 くどやま」で泊。
今回は、町石道を高野山に向かって約22キロ登るコース。先ず、弘法大師のお母様をお祀りしている慈尊院からスタート。このコースは高野山の表参道で弘法大師空海が高野山を開山して以来の信仰の道。道標として1町、約109mごとに町石と呼ばれる高さ約3mの五輪卒塔婆形の石柱が建てられている。高野山上の根本大塔から慈尊院までの約22kmの道中に180基と大塔から高野山奥之院・弘法大師御廟まで約4kmの道中に36基、合計216基ある。慈尊院から数えて36町(1里)ごとには、町石の近くに里石(りいし)が合計4基置かれている。町石は、平安時代の頃は木製だったが、鎌倉時代に約20年の歳月をかけて石造に建て替えられて現在でもその8割以上にあたる150本は建立当時のまま残っている。という事で私達は、その歴史と信仰の道を180基目から遡って高野山を目指して歩く。町石は、番号、建立された年や建立者名、梵字が彫られている。文永●●年●●月、藤原氏●● ●●朝臣 ●●尼 大正●●年。一基づつ確認しながら歩いていく。町石は、建立年によって、字体が違ったり、貴族、僧侶、尼僧などの名前があったり、それぞれ個性があって興味津々。家族連れ、グループづれの人達にどんどん追い抜かれても見逃した町石は又、戻って確認したり。800年前の人達がこんな大きな町石を運んで高野山までの参道を整えたなんて凄いことだ。昔の人は偉かった。約9時間かけて高野山の総門、大門に辿り着く。長い道のりを経て辿り着いた大門は圧巻だ。第1基は根本大塔の近くにある。金堂、根本大塔を見学して今夜のお宿、宝城院へ。52ある寺院の内たった3寺院のみ火災に遭っていないという中の一つの寺院という歴史と由緒のある宿坊だ。筍尽くしの精進料理を美味しく頂き、満足、満足。
翌日は、いよいよ奥之院まで、観光客となって高野山を満喫する。奥之院では、歴史上の有名な人物から様々な企業までの数十万基を超える墓碑が、参道の両側の何百年も経た老杉に囲まれて静かに眠っている。荘厳な雰囲気の中、多くの人が墓碑を見学する。ふと見ると豊臣秀吉、織田信長など有名な人物の墓碑に音声ガイドの番号が。宿坊協会で聞いてみると500円で1日半、貸し出してくれるとか。高野山の総本山金剛峯寺から始まって100以上の音声ガイドを聞くことが出来るそうだ。次回はこの音声ガイドを借りてもっと高野山を勉強しようと盛り上がる。次回も来る気満々。
弘法大師の御廟にお参りして、真田庵も見学して、道の駅でお買い物も済ませて。歴史と信仰と観光の高野山町石の道を歩く山行は、充実感満載で終了いたしました。皆さま、本当にありがとうございました。行けて良かった。ご利益、ご利益に感謝です。
(記 K川)
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