日 程: 2014年8月12日(火)夜発~16日(土)
参 加 者: K坂(CL)、O井(記録)
記 録:
【12日】
天気下り坂が予想されるため、出発を1日早めて13日BCまで行き、現地判断とする。
【13日】
昨年軽荷で登った長次郎谷は、フル装備のザックでは本当にキツイ。お盆前半は台風の影響で来れなかったクライマーでBCは大混雑。日没ギリギリまで八ツ峰フェイスのコールがこだまする。翌日はチンネをヤル予定であるが、テントを叩く雨音に無理かなと思いつつうとうと~。一つ向こうのテントがざわつき、どうやら別パーティのチンネ帰りの仲間が滑落遭難したらしく、小屋伝令組と救助組に別れて動き出した。私達もできることは、と思ったが救助の人数は充分に足りていたようだし体力的にも今夜は無理と考えて二次遭難防止のためにも応援物質の手渡しに留めた。
【14日】
4時前にテントから出て長次郎谷を見てみると、下から上がってくる救助隊のヘッドランプの明かりとはるか上には負傷者に付き添う人達のヘッドランプの明かりが見える。さて私達はどうしたものか、リーダーの判断に委ねた結果、とりあえずチンネ左稜線取り付きまで行くとの事。最悪の事を考えてビハーク装備をザックに入れ、右俣を登る。途中、私が追い抜いた若者があっという間に雪渓を滑落して行く。昨夜シュルンドに滑落遭難した負傷者の救助のへりが上空にやって来て、PUの器具を降ろして旋回していく。私達はヘリの風圧を避けて一時停滞するがヘリが行ってしまうと再び雪渓を登り始めた。シュルンドから引き上げられる負傷者の横を通る時に援助できることはと声かけると、リーダーらしき人は物質のお礼を言われて大丈夫ですとの事。少し安心して、池ノ谷乗越でアイゼンを外しガレ場を下る。三年前に北方稜線の時にビバークした三ノ窓で休憩、雪渓の向こうにチンネ左稜線の取り付きが見える。時間が遅いのと天候がイマイチなのとで、コールも聞こえないし誰も見えない。再びアイゼンを付けトレースのついた雪渓をトラバースして、シュルンドを飛び越えて取り付きまでたどり着いた。K坂Lと私の気持ちがぴったり合い、10時登攀開始。時間短縮の為にリードは全てリーダーに任せた。おかげでスピード登攀で核心T5で前のパーティに追いつく。香坂Lは難なくクリアで、私の為にシュリンゲをかけてくれたので私もあっさり登れた。ここからは3パーティが前にいることがわかり渋滞で、ガスで視界悪く霧雨で足元が滑りそうなので慎重にナイフリッジを進む。13ピッチ終了は16時頃か?ロープを片付けて、後はガレ場を下り池の谷に出るだけと思っていると、先々行女性二人パーティが懸垂下降でガレ場を降りていて、先行男性四人も別パーティながら同じロープで下降し始めた。私達はシングル50なので次の懸垂支点まで届かないのと天候悪化&時間短縮の為にロープを使わせていただくことにした。落石を最小限に留めるために慎重かつ恐怖の40㍍懸垂2回の後、やっと池の谷に到着。ここで四人パーティリーダーの提案で、昨夜滑落遭難があった長次郎谷右俣雪渓上部は皆で懸垂下降することになった。懸垂支点はあったが岩壁横のガレ場を下りシュルンドをまたぎ斜めに懸垂していくので、すでにヘッドランプになった視界では本当に怖かった。しかし8人もいれば心強いもので、感謝感謝である。テンバ着19時?で、無事たどり着けたが興奮で食事もあまり進まなかった。
【15日】
天気下り坂と判断して予定を変更して下山することにしていたので、早々テント撤収。上部にガスのかかった長次郎谷左俣雪渓を登って、本峰を目指す。山頂手前から風雨強まり、登頂後直ぐに一般道で下山開始。しかし、食料もガスもほとんど減っていない
ザックは雨で更に重くなり、カニの横ばいの鎖を持つ手もすべり風雨で身体が揺れる。登山道は沢の様に水が流れ、やっと休憩できる剣山荘にたどり着いた。これ以上下山するのは危険と判断して13時前に素泊まり決定。なんとシャワーを浴びる事が出来たので、ラーメンを作り冷えきった身体に最高のご褒美になった。天国のような小屋で昼間からのんだくれていた私は、ちょっと反省だった。
【16日】
一時的に雨の止んだ下山道を足早に行く。劒御前小舎手前から大雨で、小屋でおしるこで温まる。雷鳥沢上りで再び雨、室堂近づくにつれて雷雨。10時過ぎにバスターミナル到着、温かい立山そばが身にしみた。運よくチンネ左稜線を登攀することができた。本当に運よくだった~。